国民政府は長江を遡って漢口から
国民政府は長江を遡って漢口から重慶へと政府機能を移転して抗日を続けた。漢口から先の奥地へはまともな道路が存在せず日本陸軍はそれ以上の追撃は困難と判断し、広州へ向けてさらに南下する。一方で大日本帝国は、国民政府左派の代表格である汪兆銘らと手を結び南京に傀儡政権を組織して支那事変の終結を目指したが失敗に終わった。また、近衛内閣はナチス・ドイツやイタリア王国と共に三国防共協定・三国同盟を結び、さらに大政翼賛会の結成で既成政党を無効とした。
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こうした支那情勢の中、日本の中国平定を警戒する米国などの国は援蒋ルートを用意して蒋介石を支援した。アジア進出に出遅れた米国は門戸開放政策からも分かるようにアジア・太平洋へ介入する機会をうかがっていた。米国は日露戦争後、満州鉄道の経営を通じ中国大陸に進出しようと試みたが、失敗。第一次世界大戦で日本がアジア・太平洋地域で権益を拡大すると、これに反感をもった米国は石井・ランシング協定を結び、日本の満洲、蒙古での特殊権益を認める代わりにそれ以上の権益拡大を封じようとした。
その後、大日本帝国による満州事変・支那事変を端に発した大陸進出(勢力拡大)に対して欧米は深い反感を覚え、いずれ日本が石油などの天然資源を求めて米領フィリピンなど、欧米が東南アジアに持つ利権を脅かす存在となるのではないかと懸念した(「南進論」)。また同時に日本の勢力拡大が独立運動が高まってきていたインドなどの植民地に影響を及ぼすことに対しても警戒した。